パンドラの箱とみるか解決可能な課題とみるか

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職場内で毎月、事例検討会を行っています。現在介入中のケースについて相談したり、援助終了後その援助の在り方について「これでよかったのだろうか。」と相談したりします。日々の業務で忙殺されそうになる中、こういったスーパービジョンや振り返りが出来ることはありがたいことですね。 今週行った事例検討会では、上司から大変示唆に富むコメントをもらいました。私は、病院に復帰してこの1ヶ月半、業務を行っている中で、1つの疑問にぶつかっていました。それは、インテーク面接や他職種からの情報収集を基にアセスメントを行った結果、本質的な課題が見つかったとしても、入院後1-2W間以内の短期介入と結果を求められる環境下において、それには手を付けない・手を付けられないことがあり、体裁だけ整えて退院・転院して頂くことが少なくありません。 MSWとして、その課題に介入できない不全感と、それに手を付けたところで本当に対応できるのかという経験の浅さからくる不安。そういった状況においてどう立振る舞えば良いのだろうか、というのが私の疑問でした。 事例検討会の場で自分の疑問を打ち明けたところ、上司から大変示唆に富むコメントが返ってきたので、ここに記録しておきます。 「MSWとして相談援助を行う過程において、本質的な課題が見えるのは当然。課題を見つけた時には、次の3点についてアセスメントすることが必要。①自分にその課題を解決する能力が今の段階で備わっているか、②その課題を解決する機会を主治医から与えられているか、③その課題を解決するだけの期間があるか。若いMSWは直ぐ手を出したがる。手を出してはいけないということではない。でも良く考えてから行動するように。」 その話を聞いて、私は、当該の課題をパンドラの箱とみるか解決可能な課題とみるかは自分次第だなぁーと思いました。もちろん自分の能力だけでなく、クライエントの持つストレングスを引き出して、クライエント自身が課題を解決出来るようにする援助方法もありますが、それとてストレングスを引き出すための能力が援助者に求められる訳です。また、自分には解決能力はないけれど、ライブスーパービジョンを受けながら現在進行形で課題に介入することもあります。 今後、自分の能力の無さをごまかす言い訳として、「これはパンドラの箱だから開けない方が良い。」と思う回数を少しでも減らし、具体的な解決課題として介入できるよう、経験を積まなければいけないなーと思った時間でした。 ※写真は、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 「パンドラ Pandora」 1898年。