日本ソーシャルワーク学会『ソーシャルワーク学会誌』第22号,2011年6月から考えたこと

日本ソーシャルワーク学会(旧日本社会福祉実践理論学会)が、『ソーシャルワーク学会誌』第22号,2011年6月を発刊しましたが、まだHP上には公表されていません。 参考までに以下の通り、目次を掲載します。 実践報告 ・障害のある人の労働の場づくりをめざした地域ネットワークの生成-参加型アクションリサーチを通して- 大木えりか 第27回大会報告 ・学会長講演 学会のあゆみとこれから 高橋重宏 ・大会長講演 メアリー・リッチモンド再考―現代社会におけるソーシャルワークの構築に対する示唆― 松原康雄 シンポジウムⅠ  ・日本の社会福祉実践はどこまでソーシャルワーク化できたか―研究と実践の到達水準を検証して未来像を探る― コーディネーター:山崎美貴子 シンポジスト:佐藤豊道、渡部律子、福山和女 シンポジウムⅡ ・ソーシャルワークとしてのアイデンティティ コーディネーター:小山隆 シンポジスト:木原活信、平塚良子、和気純子 ベストプラクティショナー ・住み慣れた我が家へ―高齢・単身者の退院援助― 谷義幸 ・貧困問題の現場から取り組むリーガルソーシャルワーク 宮澤進 書評 ・三輪久美子『小児がんで子どもを亡くした親の悲嘆とケア―絆の再構築プロセスとソーシャルワーク―』(生活書院,2010) 保正友子 以下、シンポジウムⅠ  ・日本の社会福祉実践はどこまでソーシャルワーク化できたか―研究と実践の到達水準を検証して未来像を探る― コーディネーター:山崎美貴子 シンポジスト:佐藤豊道、渡部律子、福山和女 を読んで印象に残ったこと、考えたことを述べます。 【印象に残った発言】 (渡部律子氏の発言 pp.60-61)  ソーシャルワークの見方というのは、たしかにクライアントの全体像を見ようとするので、そこに意味があります。ただここで、誰にでも『では、どうぞ、私たち、もういいです』と言ってしまうと、何が残るんだろうという思いがあります。「ソーシャルワーカーがする実践というのは、他の人のものと、どこがどう違ってくるのか?」この問いかけに対する答えを出せなければ、実はソーシャルワークはまた一から出直しかな、という思いもあります。  もう7-8年前になるのですが、ある大学でケアマネジメントのことが取り上げられまして、アメリカのミシガン大学で老年学ソーシャルワークをやってらっしゃる、ルースキャンベルさんがゲストで来られました。フロアの方から、「ケアマネジメントを医療職がやっていることをどう思いますか?」と質問を受けられたんですね。そこでの彼女の答えはふるってたんですよ。「私たち(ソーシャルワーカー)はいつも次々と仕事を作り出しながら成長してきた。だから誰か他の職種の人がソーシャルワークの仕事を取ろうとしても、そんなに動じない。そうなったら、今度は私たちが何ができるか?を考える」と言われました。  実際のところ、病院で看護師の方たちがケアマネジメントをやってみたけど、途中から「もういいわ、やっぱりやめた。あなたたちに戻す」と、業務をソーシャルワーカーに戻してきたと言われたんです。そのような問題が起こったときに使ったのが、ソーシャルワーカーが身につけているさまざまな問題対処力だったんですね。  (中略)個々のカウンセリングだけではなく、コーディネーション力、交渉力など、本来はこのような力をもっているのがワーカーだと思います。これらの力を適切に必要に応じて使うことができていれば、他の職種の方たちはそれを身につけたいけど、そう簡単には習得できないと感じてくださると思います。そしたら、「私は本職があるので、その仕事はワーカーに戻すわ」という発言をするかなと思うんですね。これだけ言っていただけるようにならなければ、他の職種に負けるのかなとも思います。  (中略)私たちが本来、何を目指して仕事してきたのかとうのを、具体的な実践モデルの中で示さなければ、他職種に勝てないと思います。ですから具体的に実践モデルで示すことが必要です。抽象論だったら議論は進みません。抽象論で行く限り、他の人々に「そんな仕事は、ソーシャルワーカーはやっていない」と言われたら、さっきの自己決定の話じゃないんですけど、「そうですよね」と言って引き下がっちゃうんですよね。ところが具体的なケースを出して、「これがソーシャルワーク、これが自己決定」とみせることができたときには、戦えるかもしれないと、私はまだ規模部を捨てていません。  その方法なんですけど、ひとつは、さまざまな実践モデルを作ることです。良い実践をしていらっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。その方たちの実践事例から、「これが私たちのいうソーシャルワークで話しているケアマネジメントなんです」というものを示すことかなと思っております。 【関連】 ・2009年12月12日に開催された同志社大学大学院GP総括講演会での白澤政和氏の発言) 出典:『同志社大学社会福祉教育・研究支援センターニューズレター』№11,2010.7.31,p8  (2009年)11月、アメリカと韓国に行ってまいりまして、それぞれ目的は違うんですが、アメリカの学会ではワシントンでNSWとCSWに行ってまいりました。日本のソーシャルワークを取り巻く現状、ケアマネジメントというソーシャルワークにとっては大変重要な技術がさまざまな専門職によって、今、使われている。しかし介護福祉士や看護職が圧倒的に大多数を占めているという話や、今、スクールソーシャルワークを何とか学校に定着させていこうとしているわけですが、今まで実績のあるスクール・カウンセラーに私たちは追いついていかないという話をアメリカのCSWE,NSWEでしてまいりました。  アメリカもsame situationだというわけです。同じ状況だと。先程、「喧嘩をする」とか「攻め込まれる」という大橋先生の話がございましたが、まさに私たちは自分たちが生き抜くためにソーシャルワークというものを社会的にどう確立させていくか。これは世界的な課題だと、日本だけの問題ではないと思って帰ってまいったことを、まず申し上げたいと思います。 【2人の発言から考えたこと】 渡部律子氏の赤文字の部分は2010年7月3日のシンポジウムの7-8年前の内容なので、恐らく、2003-2004年頃の話。一方白澤政和氏の赤文字の部分は、2009年11月の話。前者は、ケアマネジメントが看護職から戻されたとされ、後者では看護職等他職種が大多数を占めているとされています。一見矛盾しますが、察するに、時代の経緯で変化しているというよりは、地域の実情また情報提供者の事情でかなり状況が異なるのではないかと思いました。そして、両者に共通することは他者・社会に対してソーシャルワークをどう見えるようにするかという切実な課題を訴えているということ。 先駆者の暗黙知を如何にして形式知化して後世のソーシャルワーカーが引き継ぐか。それには暗黙知暗黙知のまま引き継ぐことも多いですが、少なくとも確実に次へ次へとつないでいくために、私たち臨床家は、分析概念、専門用語の使用にもっと意識的でなければいけないと思いました。