池上直己「介護保険の改革案と今後の展望」『社会保険旬報』№2240,2005,pp.16-23

【価値判断】◎  【論文の種類】評論

「給付の対象と給付基準」「給付サービスの設定」「給付増への対応」についてそれぞれ、簡潔に著者の私見が述べられている。本論文を読んで、改めて福祉は「最低生活の保障」を担うものであるということを再認識した。「みんなの福祉」論に惑わされてはいけない。

「制度は法律が作り、無法地帯を切り開くのがソーシャルワーカーの役割である。」(@F木先生)社会保険に移行した部分にばかり目を向けるのではなく、制度と制度の狭間で生活困難に陥った人々に寄り添い、支援することが大切である。無論、業務の許す範囲内ではあるが。

そんな理想主義的な考えを、私の身体を通して実践できるようになるには、まだまだ道のりは遠いなー。


・「施設においては、低所得者に標準を置いた特別養護老人ホームの運用基準が、そのまま病院などを含めて全ての介護保険施設に適用されたため、給付範囲を超えた追加的な負担を求めることが困難な状況下にある。」(p.17)

→なるほど。そういうことだったのか。

・「ケアマネジャーは日本にソーシャルワークの基盤がないからこそ誕生した」(p.19)

→ハハ。

・「ホテルコストの徴収は改定案では低所得者に減免されているが、むしろ一律に徴収し負担能力がなければ生活保護で対応したほうが適切であったように思われる。・・・(中略)・・・ドイツでは入所者の三割は生活保護の対象となっている」(p.22)

家族介護が日本の美徳とされた時代から、介護保険を使って負担感の軽減を図ることが国民に了解される時代へと変化したのと同様に、生活保護受給に伴うスティグマも、受給者が増加することによって払拭されるのだろうか。

介護保険の場合は、未利用の国民やサービス提供者の側にも「そのうち私や家族が使うことになるだろう」と想像が容易なため、利用者の存在を受け入れ易い。しかし、生活保護受給者を見て、彼ら・彼女らが「そのうち・・・・」とは想像しにくいのではないか。そのため、利用者の存在を受け入れ難いと思われる。それは介護保険を利用するまでの過程と異なり、生活保護を受けるまでの過程が、想像し難いからである。

P・スピッカーは、『スティグマ社会福祉』の中で、スティグマとは単に公的扶助を受けることによってのみ押されるのではなく、受給するまでの過程においても押されることを明らかにした。日本のように、過程におけるスティグマタイズの影響が強い場合(厳格なミーンズテスト)には、例え生活保護受給者が増えるとしても、彼ら・彼女らが受給過程で受けるであろう烙印の傷は深く、生活保護を受けていない者と受けた者の関係は決して連続的ではなくて、断絶された関係を生み出すことになる。

この過程が存在する限り、「受給者増=生活保護の普遍化」には至らない。私はそう考える。

ひるがえって冒頭で著者は、「福祉は『最低生活の保障』を担うものである」と述べた。であるならば、ソーシャルワーカーができることは、例え「そのうち・・・」と生活保護受給者を自己のこととして受け入れられないまでも、差別・偏見を温存することとは別の方法で、①「他者」を「他者」のまま受け入れること、②「他者」の権利を守ることではなかろうか。