伊藤文人「包摂の実践者か、排除の尖兵か?-イギリスにおける脱専門職化するソーシャルワーク-」『現代と文化』第113号,日本福祉大学福祉社会開発研究所,2006,pp.123-141

著者より頂く。 【論文の種類】総説 ・物質的な福祉(現金・現物給付を含めた所得保障)の削減は、貧困や失業、質の悪い住宅やホームレス、家庭内問題や精神の問題に苛まされているクライエントにとっては痛手であったが、同時にイデオロギー的な悪意の弾幕は貧困状況に生きる人々に対して大きなインパクトをもたらしたことは想像に難くない。政府は容赦なく彼らを不道徳だと攻撃(stigmatisation)を浴びせ、貧困者が自らの状況を自己批判するように仕向けた。このことは、福祉クライエントへの非難にとどまらず、ソーシャルワーカーへも向けられることになる。というのも、日々創造的な実践を試みているソーシャルワークの社会理論は、ニュー・ライトの支持する伝統的家族観や労働倫理観らと真っ向から対立しており、ソーシャルワーカーがクライエントを甘やかすことによって、わざわざ「依存の文化」を創造しているものと非難されたのである。そのような惰民養成を促進し、手助けをするようなソーシャルワーカー養成は、明らかに社会にとってマイナスに作用するのであって、制限されなければならないというのがニュー・ライトの主張であった。(p127) ・「資源は、健康・保健医療、教育、住宅、所得のいずれの領域のものであれ、必要(needs)に応じて分配されるべきである。これがラディカルな社会政策(radical social policy)の基本原理である」(George and Wilding,1976,dustjacket)。この諸資源を個々人の必要に応じて「つなぎ合わせて」社会との接点を持たせて、包摂していくことがソーシャルワーク実践なのである。人間が社会的存在である以上、社会から排除されることは人間の否定である。それを止揚するために、ソーシャルワークは様々な批判を浴びながらも今日まで長く存続できたのである。しかし、哲学無きソーシャルワーク(マニュアル化した門衛)では実践を切り拓くことはできない。(p138)