辻外記子「医を創る~広島から~」『朝日新聞』2008年8月26日

伊関友伸氏のブログにて紹介。国民健康保険保険料滞納者に対する資格証明書の交付にまつわるリアルな記事。 なお、後期高齢者医療制度の資格証明書に関して二木氏が指摘している、政府・与党が08年6月12日に発表した「高齢者医療の円滑な運営のための負担の軽減等について」に盛り込まれた、「7.資格証明書の運用に当たっては、相当な収入があるにもかかわらず保険料を納めない悪質な者に限って適用する。それ以外の方々に対しては、従前通りの運用とし、その方針を徹底する。」という文章の存在と、それが地方自治体で徹底されていないことについては、残念ながら触れられていない。 なお、介護保険制度にもほぼ同様の罰則が存在しており、こちらでは保険証の給付制限欄に「支払い方法変更」の記載が行われる。 【参考】 ・二木立「二木教授の医療時評(その57)私が後期高齢者医療制度廃止と老人保健制度復活に賛成する理由」『文化連情報』2008年8月号(365号),pp14-17 以下、朝日新聞HPより転載。


滞納理由の把握 カギ 写真 医療費が3割負担の通常の保険証(左)と、全額負担となる資格証明書 「国保資格証明書」を考える 国民健康保険料を長期滞納したことにより、通常の保険証の代わりに交付される「国民健康保険被保険者資格証明書」。医師に診てもらうと、病院などで医療費を全額負担しなければならないため、痛みなどを我慢し、病気が重くなる人がいる。保険料を集めるのは自治体の義務で、資格証明書の交付は、収納率を上げるのが目的とされる。実際にどんな効果があるのか。どのような場合に交付すべきなのか。県内で最も多く交付していた広島市が今年5月、いったん交付をゼロにしたことをきっかけに、資格証明書のあり方を考えてみた。(辻外記子) ◆「交付が受信を抑制」-広島・現場の声- 60代の一人暮らしの女性が05年秋、広島医療生活協同組合広島共立病院広島市安佐南区)に救急車で運ばれた。その1週間ほど前から食欲がなく呼吸が苦しかったという。急性心不全と診断され入院した。  女性はパートで生計を立てており、収入は毎月6万~8万円。そこから3万3千円の家賃を払っていた。保険料の滞納が続き、資格証明書が交付されていた。同病院の相談室によると、女性は「ぎりぎりまで病院に行くのは我慢した」と話していたという。  女性は、病気のため資格証明書の交付対象外とみなされ、自己負担が3割の「短期保険証」を交付された。その後、医療費が免除される生活保護を申請。別の病院に転院し心臓の手術をし、共立病院に戻り、リハビリをして回復した。ソーシャルワーカーの山地恭子さんは「救急車で運ばれるのがあと1、2日遅かったら、助かったかどうかわかりません」と話す。  同病院では資格証明書を交付され、受診をちゅうちょしていた末に亡くなった患者も少なくない。  08年春に亡くなった60代の女性患者は自営業で娘らと3人暮らしだった。数百万円の借金があり、年間20万円近くの3人分の保険料を2年以上滞納していた。家族によると、おなかが痛いとうずくまることが月に1、2度はあったというが、「病院に行けば1万も2万もかかる。高いから行かない」と話していたという。嘔吐を繰り返し、10日ほどたって同病院を受診。腸閉塞と診断され、入院2日後に手術をしたが、1カ月半ほど後に亡くなった。  山地さんは「資格証明書が確実に受診を抑制している。我慢している人の数はわからず、実態は闇の中。困っている人への交付は人権侵害です。役所の人の対応が冷たく、相談に行きたくないという患者が多かった。もっと事情を酌んでくれれば、と思ってきた」と言う。 ◆早い介入 夜間相談も-自治体の工夫-  県がまとめた最新の資料(07年6月時点)によると、資格証明書の交付件数が多い10市町は、表の通り。国保世帯に占める交付割合は自治体によって差があり、最大で約9倍、滞納世帯に占める交付割合では最大約11倍の開きがある。  県内全体の半数以上を交付し、国保世帯に占める交付割合も最も高かった広島市は今年5月末、交付の判断基準の見直しを実施。資格証明書の交付をいったんゼロにし、代わりに短期保険証を交付した。保険年金課は「滞納世帯にはこれまで以上に生活状況や病気の有無を調査する。(滞納せざるを得ない)特別の事情の届け出がないからといって資格証明書を交付するのではなく、面談などを通じて判断することにした」と説明する。支払い能力があるのに払わない悪質な滞納と確認できれば交付するという。  呉市は交付件数が3番目に多いが、交付割合は比較的低い。担当課は「滞納が始まれば早いうちに介入するのが大事。納付の約束ができれば短期保険証を出す。保険料より家などのローンを優先させる人もいる。保険は相互扶助であり一方的に受けるものではないと理解してほしい」。  交付割合が最も低い東広島市に、その理由を聞いた。担当課によると、資格証明書の交付対象になりうる1年以上の国保滞納者は1800世帯ほどという。払えない事情を把握できた世帯を除くと、百数十世帯に減る。保険料や税の滞納にかんする夜間の相談窓口を年間90日ほど設けていることで払えない事情を把握できることが多いが、特別なことはしていないという。  長野県松本市は原則として資格証明書を出していない。全国的に珍しいが、担当者は「滞納者に何度も会い、人間関係を築くよう心がけている。今は無理でもいつなら可能か。分割はできるかを聞き取る。力わざで払わせるのでなく、一緒に考える」と話す。滞納対策の一環とされる資格証明書の交付をやめてから収納率は逆に上がり、07年度は92・3%だった。  千葉市の場合は1年以上の滞納者に原則、資格証明書を出す。06年度は滞納世帯の42%に資格証明書を交付。収納率は88・6%だった。 ◇支払い能力の有無「きちんと判断を」  伊関友伸(とも・とし)・城西大准教授(行政学)の話・・・資格証明書交付の本来の目的は、払えるのに払わない人に支払いを促し納付率を上げることだった。だが一定の基準に達すると交付という自治体では、医療が必要な人の生活を崩壊させる危険性がある。セーフティーネットの維持には、支払い能力の有無をきちんと判断しなければならない。財政事情が厳しいからといって福祉現場から人員や予算を削減するのではなく、逆に専門職員らを増やすべきだ。 《取材後記》  「どこをみて仕事をするかですよね」。ある市の担当者の一言が印象に残っている。財政が厳しい折、保険料を集めるのは大事な仕事だ。かといって、十分な相談ができず、病院に行くのを我慢したために亡くなるような人がいてはならない。資格証明書の交付が収納率アップにつながっているわけではなさそうだ。広島市の決断は「性悪説」から「性善説」への切り替えともいえる。どのような世帯に交付されるのか、住民の意識に変化は現れるのか。今後も注目したい。 【国民健康保険の資格証明書】・・・  国民健康保険の資格証明書 市町村の国民健康保険に加入する自営業などの世帯は保険料を納め、医療費が原則3割となる保険証を受ける。保険料を数カ月以上滞納すると、有効期限が1年の通常の保険証の代わりに数カ月間有効で、自己負担3割の「短期保険証」が交付される。滞納が合計1年以上続くと、医療機関を受診した際に医療費を全額自己負担しなければならない「資格証明書」が交付される。市町村が、災害や病気など納められない事情があると判断すれば、交付の対象外となる。全国的に国保の加入者は近年、失業者や非正規雇用の労働者らの割合が増え、滞納も増加している。