マルコ・トゥルコ監督『むかしMattoの町があった』2010年2月

1978年に施行された精神保健法(180­号法)の5年後を描いた映画は、こちら。 残念ながら愛知県では未上映。要注目です。 むかしMattoの町があった 予告編・日本語字幕
マルコ・トゥルコ監督『むかしMattoの町があった』2010年2月 180人のMattoの会 http://180matto.jp/ 「むかしMattoの町があった 」C'era una volta la città dei matti この夏、イタリア精神保健改革の最初の20年を描いた素敵なイタリア映画が日本で上映­されます。題名はC'era una volta la città dei matti。邦題「むかしMattoの町があった」。イタリア語のmattoは狂気を­もつ人、そうです、「Mattoの町」は精神病院を意味します。 イタリア国営放送RAIと映画会社Ciao Ragazzi!が作ったこの3時間の大作は、2010年2月7日と8日、1時間半づ­つ二夜連続で放映されました。なんと、21%以上の高視聴率でした。今、ヨーロッパ各­地で、南米のブラジルやアルゼンチンで、トルコで、イランで、自主上映運動が展開され­ています。日本では、「バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会」が上­映をします。 【第一部】 主役は3人。イタリア精神保健改革の父、フランコ・バザーリア。 アメリ進駐軍に凌辱された女性から生まれたマルゲリータ。 旧ユーゴでファシストナチスに蹂躙されて家も肉親も失ったボリス。 1961年、ゴリツィア県立精神病院長に赴任したバザーリアは、小さな檻に閉じ込めら­れていたマルゲリータに顔を近づけたとたん、唾を吐きかけられる。独房のベッドに15­年も縛り付けられているというボリスを回診すると、屈強な看護師たちに取り押さえられ­た立ち姿のボリスの汚れた股間に、ホースの水が無遠慮に掛けられていた。 バザーリアは、ゴリツィア病院の収容所臭さをなくすことに、心血を注いだ。こんなバザ­ーリアに、マルゲリータやボリスの頑なな心も、少しづつ緩んでいく。 しかしゴリツィア県の行政当局は、病院外に精神保健センターを造ることにも、職員を増­員することにも反対した。 そこに、外泊した男性が妻を殺める事件が重なって、バザーリア院長は病院を追われてし­まった。1969年、こうして映画の前半が終わる。 映画第一部の舞台は旧ゴリツィア県立病院。いまはバザーリア公園になっている。 【第二部】 1971年、トリエステ県代表(日本の県知事に当たる人物)のミケーレ・ザネッティが­、県立サンジョヴァンニ病院長になってほしいとバザーリアを口説いた。バザーリアは、­「白紙委任状」(つまりカネを出しても口は出さないということ)を条件に、院長を引き­受けた。 マルゲリータもボリスも、サンジョヴァンニ病院の入院者として、後半でも登場。これは­フィクションですが、ゴリツィア県とトリエステ県は自治体として近隣同士なので、不自­然ではない。 やがて病院は縮小されて、代わりに24時間オープンの町なかの精神保健センターに機能­が移される。 1978年、イタリア中のマニコミオ(精神病院)を廃止する新しい精神保健法(180­号法)が、国会ほぼ全会一致で成立。 マルゲリータもボリスも、紆余曲折を経て人間として復権を果たした。 しかしバザーリアは、脳腫瘍で死の床についた。 バザーリア映画を自主上映する 180 人のMatto の会 オフィシャルサイト:http://180matto.jp/ 設立:2012年7月 代表者:大熊一夫 主催:バザーリア映画を自主上映する 180 人のMatto の会 後援:イタリア大使館 協力:RAI フィクション / Ciao Ragazzi ! / フランカ & フランコ・バザーリア記念財団 / トリエステ精神保健局 / 大阪ドーナッツクラブ お問合せ:「バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会」事務局 E-mail:180matto@gmail.com