「10年以上続いた「壮絶な虐待」 祖母・母殺害の17歳」『朝日新聞』2015年2月9日

最近、こういう記事に目が留まる。関連記事を読みつつ、三女がどういう思いで犯行に至ったのかを想像する。


「10年以上続いた「壮絶な虐待」 祖母・母殺害の17歳」『朝日新聞』2015年2月9日

北海道南幌町の高校2年の三女(17)が昨年10月、就寝中の母親(当時47)と祖母(同71)を包丁で刺して殺害した事件。背景には三女が10年以上にわたり受けた激しい虐待があった。事件は防げなかったのか。
 殴る。ける。竹刀でたたく。火の付いたたばこを腕に押しつける。トイレを使わせず、風呂は夏でも週1回だけ。冬には庭に立たせて水をかける――。
 「壮絶な虐待」。三女の少年審判に提出された家裁調査官の報告書にはそう記されていたという。関係者によると、三女は主に祖母から虐待を受けていた。母親は育児放棄の傾向があり虐待もしていたという。
 「虐待と事件とがこれほど結びついた少年事件を他に知らない」。三女の後見人を務める弁護士は言う。家庭外の非行で警察に補導されるなどして虐待が明るみに出るケースは多いが、三女には事件前まで非行の兆しは見られなかった。
 なぜ逃げなかったのか。教育評論家の親野智可等(おやのちから)さんは「いじめられている子どもと同じで、周囲に助けを求めたら、もっとひどいことをされるかもしれないという恐怖があったのだろう」とみる。
 三女は逮捕後に「厳しいしつけだと思っていた」と話し、少年審判でも「虐待」とは認識していない様子だったという。
 虐待から救い出すことはできなかったのか。
 三女は小学校入学直前の2004年2月ごろ、地元の児童相談所(児相)に一時保護された。関係者によると、祖母に足をかけられて転倒して頭部に重傷を負い、病院から「虐待の疑いがある」と通報があった。「6歳としては不自然なほど敬語を使う」との記録があるという。
 児相は迎えに来た母親に三女を戻し、定期的に家庭訪問して指導。だがその対象は祖母ではなく母親だった。祖母による虐待の発覚を嫌った母親の指示で、三女が「母からやられた」とうそをつき、児相がそれを信じたためとみられる。同年11月、児相は「必要がなくなった」として指導を打ち切った。その後は通報もなく、関わりが途絶えた。見かねた近くの住民が意見しても、祖母は「うちのしつけ」と受け入れなかったという。
 厚生労働省の担当者は「幼少期に一時保護しても、その後、虐待の通報がなければ気づくのは難しい」。東京都内の児相のベテラン児童福祉司は「虐待案件は次から次に押し寄せてくる。継続的にケアするのは無理」と話す。
 札幌家裁少年審判で、三女の責任能力を認めた上で、長年の虐待により心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症していたと認定。1月21日、医療少年院送致を決めた。三女は今後数年間、治療と矯正教育を受ける見通しだ。
 16歳以上の未成年者が故意に人を死なせた場合、家裁は検察官送致(逆送)するのが原則だが、犯罪白書によると約35%は保護処分などで逆送されず、三女のような医療少年院送致は約2%。刑事裁判と違い少年審判は非公開で、札幌家裁が明らかにしたのは約300字の決定理由の要旨のみ。こうした姿勢に対し、1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の少年審判を担当した元家裁判事の井垣康弘弁護士は疑問を投げかける。
 「子育てのあり方に関わる重大事件。なぜ防げなかったかを検証し、教訓を得るためには、事実経過をすべて公開するべきだ。それは社会復帰後の本人の更生のしやすさにもつながる」
 三女の同級生やその保護者らは事件後、三女の処遇に配慮を求める署名活動を開始。2カ月間で約1万8千人分を集め、嘆願書とともに札幌家裁などに提出した。(花野雄太、光墨祥吾)