「テーブル囲まぬ議論のかたち コロナ後、オンラインで失われる公共性 寄稿、立命館大学専門研究員・百木漠」『朝日新聞』2020年5月13日

「テーブル囲まぬ議論のかたち コロナ後、オンラインで失われる公共性 寄稿、立命館大学専門研究員・百木漠」『朝日新聞』2020年5月13日
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14474762.html?iref=pc_ss_date

本日の夕刊に掲載。以下一部転載。オンライン会議を行うことで、ノンバーバルに肌感覚で獲得できる集団の経験が得られないこと、たやすく炎上してしまう現状に対して、どの様に対処すればよいかと思案していた時に、アーレントを引用してこの違和感を表現してくれたことに感謝。複数性を保つ。「結びつけつつ分離する介在物」。「活動」としての会議・ワークショップの重要性を再確認。さて、その上で懐古主義と現実主義の間でどう折り合いをつけていこうか。

政治思想家のハンナ・アーレント(1906~75)は『人間の条件』のなかで、人々が複数的な意見を交わし合うことを「活動」と呼び、「公共性」のかなめに据えた。異なる意見を持つ人々が同じ空間に集い、共通の問題について議論する。それを通じて、同じ世界でどのように共生していくかを考える。それこそが政治であり、公共性の実現だと彼女は考えた。その際、物理的空間を共有することが、「活動」のための重要な条件になる、とも付け加えている。

 アーレントはこれを、テーブルを囲んで話し合いをすることに例えた。同じテーブルを囲んで別々の席につく。するとわれわれはテーブルを介して互いに結びつきながら、異なる視点を保持し、かつ一定の距離を保っていることになる。こうした「介在物in―between」を通じて共通の関心事(コモン)について異なる意見を交わし合うことこそが、公共性=複数性の実現であるとアーレントは考えたのだ。

 オンラインで実現しにくいのは、まさにこのような「活動」のあり方である。インターネットは良くも悪くも、人々を直接的に結びつける。そこでは物理的な距離が無効化され、われわれは「介在物」なしに他者と直面しなければならない。公的空間と私的空間の境目がなくなるなかで、他者との適切な距離を保ちながら、問題関心を共有し、かつ複数性を保った議論を重ねていくことは容易ではない。そうしたときにわれわれは、人々を「結びつけつつ分離する介在物」の重要性に改めて気づくのではないか。