「一般演題が多すぎ、発表のレベルが低すぎる」『土屋了介の「良医をつくる」』2009. 2. 21

国立がんセンター中央病院病院長の土屋了介氏が会員向けブログで興味深い記事を書いている。 印象に残った文章は、以下6点。 ・本来、学会の学術集会とは、定期的に知識をアップデートする場 ・例えばアメリカの胸部学会では、その年の優れた一般演題だけが選ばれて発表される。 ・今の最先端のものを、心臓外科医も、肺外科医も、食道外科医も、3種類の専門科の医師が混ざって1会場で聞いて知識を共有します。 ・発表への反論者も登場するので、参加者全体で、どこまでがコンセンサスで、どこがコントルバーシャルかということを共有して帰ることができる ・人がたくさん集まれば盛大な会だと喜ぶんだけど、本来はそうではない。質が高くて大勢集まらないとダメ ・国内の学会では、一般演題より、シンポジウムや教育的なものが主体ですが、それらは1年ぐらい遅れていることも多いです。シンポジウムを組むときには、もう既に発表されたデータを持っているような人を選ぶので、インターネットや本を見れば出ているわけです。 ・専門家が一堂に会する機会なので、もっとディスカッションの場を増やして、同じ専門家たちが最先端の領域について共通の認識を持つ場として活用しないと、もったいない 【感想】 日本社会福祉学会の分科会の多さには閉口していたが、それはそれで仕方がないと思っていた。しかし、必ずしもそれは福祉領域だけの話ではない様だ。また現状以外の方法・視点もあるのだということを新たに学ぶことが出来た。 ①一般演題の選別化、②シンポジウムの限界を理解した上で開催すること、③きれいな結論がでないディスカッションでも、コンセンサスとコントルバーシャル(議論の余地がある)が押さえられれば良いのだという意識の獲得。 以上3点を学ぶことが出来た。 以下、本文を転載。


「一般演題が多すぎ、発表のレベルが低すぎる」『土屋了介の「良医をつくる」』2009. 2. 21 前回に引き続き、学会の話になりますが、今回は、学会が年1~2回開催する学術集会についてお話しします。本来、学会の学術集会とは、定期的に知識をアップデートする場ですが、残念ながら日本の学会は分科会が多すぎて、役に立たない会もかなりあるのも現状です。  さらに、一度認定された専門医の再教育の場としても学会は重要ですが、再教育のプログラム、認定方法にも問題があります。  例えばアメリカの胸部学会では、その年の優れた一般演題だけが選ばれて発表される。今の最先端のものを、心臓外科医も、肺外科医も、食道外科医も、3種類の専門科の医師が混ざって1会場で聞いて知識を共有します。さらに発表への反論者も登場するので、参加者全体で、どこまでがコンセンサスで、どこがコントルバーシャルかということを共有して帰ることができるのです。  ところが、国内では、一般演題をたくさん取り過ぎている。結果的に、よほど変な抄録でなければ通るので、レベルが必ずしも高くない。学会の回数がそもそも多いので、みんなの前で時間を費やすべきでない発表が多すぎる。人がたくさん集まれば盛大な会だと喜ぶんだけど、本来はそうではない。質が高くて大勢集まらないとダメでしょう。  こうしたことが起こっている背景には、専門医の点数制があります。専門医更新の指標には、学会発表数、症例経験数、講習などがありますが、学会での発表数がカウントされるため、点数獲得のための発表になってしまいがちです。自分の発表だけして、終わったら帰ってしまうという医師もたくさんいます。そもそも、どんな発表でも受かるのだから質は落ちてしまっても当然、という悪循環に陥っているわけです。  また国内の学会では、一般演題より、シンポジウムや教育的なものが主体ですが、それらは1年ぐらい遅れていることも多いです。シンポジウムを組むときには、もう既に発表されたデータを持っているような人を選ぶので、インターネットや本を見れば出ているわけです。  せっかく、専門家が一堂に会する機会なので、もっとディスカッションの場を増やして、同じ専門家たちが最先端の領域について共通の認識を持つ場として活用しないと、もったいないと思います。日本ではそういった、コンセンサスやコントラバーシャルな部分を明確にする場があまりありません。  医師集団という身内の中で厳しいレベルでやっていれば、外から責められることはありません。まずは、集団としての自立と自浄作用が必要です。みんな専門医になれる、みんな受かる、といった身内に甘い体制でいては、ボロがでたときに社会から医師集団全体が批判されることになるでしょう。  話はそれますが、みなさんのご意見の中に、各施設の後期研修医の定員を絞ることについて、それだと何もしなくても自動的に研修医が割り振られるので施設側が努力しなくなる、頭数だけ削って割り振られたら研修医がかわいそうだという意見もありました。  もちろんその意見には同感ですが、そこにも、第三者機構がきちんと目を光らせ、定期的にプログラムをチェックすることが欠かせないでしょう。  今は、「研修医がたくさん集まったからいい病院だ」と一般的には言われていますが、本当にそうかと考えると、質を評価するものが何もありません。受け持ち患者数のカウントの仕方も大雑把すぎる。個人的には、今の都会の臨床研修病院の中で、いくら人気が高いといっても研修医の数が多すぎて十分な研修ができず、減らした方がいいところはあると思っています。