「科学的な判断力を持って,最適な治療を選択する――外傷治療学の現在 糸満盛憲氏(北里大学医学部主任教授・整形外科学)に聞く」『週刊医学界新聞』第2831号2009年6月15日

週刊医学会新聞最新版。骨折にも個性があるという指摘に興味を魅かれた。 以前から疑問に思うことが1つある。医療ソーシャルワークのプロセスでクライエントから語られる生活課題・困りごと・不安の種類やそれらに対する解決方法の標準化について議論をしようとすると、クライエントの相談内容は個別性があり、どれとして1つも同じではない。標準化の作業はなじまないというご意見を頂く。確かにその通りだなぁと思うところもあるが完全には納得できていない。 なぜなら、医療においても症状やそれに対する病識また社会的背景・年齢や性別によって診断や治療方法は個人差があるけれども、それでも共通項はないかという視点から標準化作業に取り組む。 症状と相談内容は同一のものではないけれど、個人差を前提にしつつも何故ソーシャルワークと医学ではその後の対応に差が生じるのか。そのことが私の以前からの疑問である。 この何とも言えない違和感を的確に表現した文章を見つけた時、とても納得がいったのを良く覚えている。具体的には次の論文だ。 ・川上武「医療チームとソーシャル・ワーク」『医療と福祉』1966,№17,pp.2-6 その中でも次の文章が大変印象的である。 「医師と患者の間にある疾病にあたるのは、いわゆる”悩み””心配”というようなことばで表現されるものではないかと思う。(中略)疾病にしても俗に808病といわれているのにくらべると、さらに広義の問題と対決しているワーカー・チームの対象がより複雑多岐にわたっていたとしても驚くことにはあたらない。 しかし、”悩み””心配”が多種多様であるからといって、その間に何の脈略もなく、個人-クライエントひとりひとりによってことなっているのかというと、否といわざるをえない。808病といわれる疾病にしても、感染症、腫瘍、代謝病、奇形…といった視点でみることによって、その疾病構造が究明され、共通の治療法を見い出す上の出発点となっている。 ワーカーにおいても、この点を明らかにし、それにもとづいた理論体系を作れるかどうかが、ソーシャル・ワークを科学にするか身上相談に終わらせるかの岐れ道だと思う。」(p4) 私は、川上先生の指摘された命題に対する答えを自分なりに見つけて行動していきたいという問題意識から常に物事を考えている次第だ。