9月25日に開催された、
宮城県ゆずり葉の会主催のシンポジウムにおける、
福島県医療
ソーシャルワーカー協会会長大川原順子氏の言葉が掲載されていました。
以下、
河北新報HPより転載。
「震災時介護、孤立の不安(中)」『
河北新報』2011年9月30日
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ふきのとう苑に入所する重度障害者を県外避難させた経過を報告する佐藤さん | |
◎医療・福祉の現場
<職員戻らぬ病院も/大川原順子さん>
郡山市にある太田綜合病院付属太田熱海病院に勤務している。震災後、
福島県富岡町の
特別養護老人ホームの入所者が
郡山市の公共ホールに避難してきた。県の災害マニュアルに従って避難したら、どの施設も満杯で4カ所目でようやく入れたとのことだった。しかし、床に寝るだけの状態で体調を崩すことが懸念されたので、太田熱海病院の院長の判断で修復の終わった病棟に受け入れた。
県内の避難所では、介護サービスが使えなかった人、寝たきりになってしまった人がたくさん出ていた。何とか
介護保険サービスを届けたいと、1次判定だけでケアプランをつくれる方式を導入した。
ビッグパレットふくしま(
郡山市)で始まった方式で、今は県全域で実施している。
原発事故後、避難した病院職員はたくさんいたが、多くの人はすぐに戻ってきた。しかし、職員の戻らない病院もある。
子どものいる母親や妊婦は戻りたくても戻れない状況にある。被ばくによる
健康被害を選ぶのか、避難による生活崩壊を選ぶのかということを突き付けられている。
<県内外に一時避難/佐藤正広さん>
ふきのとう苑は相馬市にある障害者支援施設で、福島第1
原発から38キロの距離にある。入所者は53人で、最も重い区分の障害者が約6割を占め、
遷延性意識障害者は7人いる。
震災での施設被害はそれほど大きくなかったが、自宅が流されたり、家族が被害に遭ったりした職員が多く、人員確保が難しかった。
南相馬市にある協力病院をはじめ、ふきのとう苑以南の病院は全て(
原発事故で)閉鎖された。利用者の安心、安全確保のため施設全体で避難することを決め、関係機関と調整した。
福島県内で重度障害者を受け入れられる施設に空きがなかったので、重度の利用者は県外に避難することになった。避難者は県内施設が8人、県外施設が33人だった。
体調管理が心配だったが、相馬市に来ていた
災害派遣医療チームの医師が同行してくれた。避難中に体調を崩す入所者は1人もいなかった。
4月になって利用者や家族から施設再開の要望が上がり、準備を進めた。5月末には震災前とほぼ同じ利用状況に戻った。
■パネリスト
・患者家族
園田淳子さん(55)=
仙台市太白区=
・患者家族
車谷晴美さん(48)=
須賀川市=
・
福島県医療
ソーシャルワーカー協会会長
大川原順子さん(60)=
郡山市=
・障害者支援施設「ふきのとう苑」施設長
佐藤正広さん(64)=相馬市=
■司会
沼田孝市・
宮城県ゆずり葉の会会長