第130回 金城学院大学医療ソーシャルワーク研究会(2013.6.15)

昨日、第130回 金城学院大学医療ソーシャルワーク研究会に参加してきました。 テーマは、医療ソーシャルワーカーとしての「きき方」について―Aさんのばあい―。 報告者は、金城学院大学国際情報学部 時岡新准教授でした。 内容としては、熟練の医療ソーシャルワーカーを対象にクライエントにどのように関わるのかについて、社会学者の立場から聞き取りを行い、発表して下さいました。 【印象に残った言葉】 ・ワーカーは、自省をしながら自信を持つことが重要 ・社会学者としては、相手が「できる」といった場合、カウンターパートとして何故できるのかについて問わないと、そこで議論が終わったしまう。為にする批判であって、その行為自体を批判しているのではない。 ・「今日的な社会福祉実践ではおもに社会資源の活用ができるように〔することを目指す〕・・・、たとえば重度の障害を持つ子についてはその子がどの施設へ行くといいのかとか、その母親が精神的に苦しんでいたら〔精神科などを〕」ちゃんと受診しなさいと言ってあげるとか、ということでだいたい尽きてしまう。けれどもそれは、僕の思うソーシャルワークでは、ない。/施設を使えば誰も苦労はない、使えばいいことで、わざわざ他人がそこに介在する必要はない。母親が精神科に、心療内科にかかって治療していてそれですめば、誰もべつにそれ以上介在する必要はないんだけれども、それですまないでいる。施設があるにもかかわらず、そこへ行くまでにもう、苦難の道というのか、悩みや苦しみがあり、行ってからも悩みや苦しみがあるということろに、やっぱりソーシャルワーカーのような人の〔果たすべき〕役割があるんだろうと僕は思っている。(中略)制度やサービス、診療科の情報を手際よくファイルから出して並べてみせるのがワーカーではない」(p6) ・「クライエントを客観的に見きわめる理解にではなく、ワーカーとクライエントとの主観的な心的経験の共有にこそある。」(p14) 【考えたこと】 ・マスターセラピストであるミルトン・エリクソンの臨床を、文化人類学者であるベイトソンが研究対象とした様に、熟練のMSWの援助観を、社会学者時岡氏が研究対象として分析した発表でした。それは、MSW自身は自明のこととして取り扱っていることがらの一つ一つに、調査者が疑問を持ち、さらに質問を重ねていくという、聞いていて非常に楽しいやりとりでもありました。 ・自戒を込めて言えば、社会福祉学ではなかなか現象や行為についてのオリジナルの専門用語が少なく、同僚や他分野の人に説明することが容易ではないことが、課題として挙げられます。 ・日々の業務に追われて、忘れがちになってしまう様々なことがらについて、今日の勉強会の様に、一度立ち止まって考える場があることはありがたいと思いました。参加させて頂いた、研究会の幹事のみなさまありがとうございました。