ソーシャルワーカーがいなくなった

<>日本精神保健福祉士協会『精神保健福祉』Vol.45,№3,通巻99号,2014.9.25

今年6月に埼玉県で開催された「第50回公益社団法人日本精神保健福祉士協会全国大会 基調講演Ⅰ 鼎談/精神保健福祉士の50年〜何が出来、何が出来なかったのか〜」pp.158-163を読んだ。

同協会名誉会長であり聖学院大学名誉教授の柏木昭氏の次の文章(pp.162-163)が印象的だった。

(協会に対して、また今の精神保健福祉士に言っておきたいこと、注文したいこと、ぜひ大事にしていただきたいことをお話いただければと現会長から質問されて)精神保健福祉士法ができて、ソーシャルワーカーがいなくなったということです。どういうことかと申しますと、割り当てられた仕事、あるいは役割をこなすことで自分はソーシャルワーカーとしてやっていると思っている。それがクライエントにとってどういうことなのかということが反省されないまま、「ああ、これが私の仕事なんだ」と思って何ら違和感を覚えない、そういう状況にあるのは困るなと思っています。

 先ほど私はチーム医療のことを言いました。皆さんはチーム医療とか医療チームというと、自分が一定の居場所に保護されていること気がつかないでいます。そういう錯覚を起こすんですね。医師にはこの患者さんにはこうしてほしい、あるいはこうしたいという指示というのがあります。医療チームの一員としてそれに従って私たちも協力し、家庭訪問をしたり、あるいは病院で治療・療養のお手伝いをすることになります。ですが、私は、自分を反省するための行動として、医療チームから思い切って飛び出してほしいと思っているのです。

 村松常雄先生がチーム医療のことを日本で始められてから、もう数十年が経つわけですが、私が危惧を抱いていることは、皆さんPSWがチーム医療の中の自分の居場所というものに慣れ親しんでしまって、クライエントの方を向かずに医療チームの方を向いて安心して毎日を過ごしているのではないかということです。(中略)私たちは医療チームの中で医師の指導の下に仕事をするという構造がありますが、この時、チームの中の自分の立場に安住せず、終始私たちはクライエント側に立つ、そういう立場性を堅持していかなくてはならない。

 そこで1つ提案ですが、相手クライエントを対象化しないということを心がけてほしいと思います。普通の自然科学、あるいはその他の学問研究においては、対象とはできるだけ距離を置いて、主観性を排除したところで検査し、いろいろ査定をする手法を用いますが、主観のない、相手とかかわりが全くないところに身を置いて客観的に見ることを、私は対象化と言っています。(中略)ソーシャルワーカーは、クライエントからできるだけ距離を置いて、向こう側にいて、主観が入らないようにして検査し、試していくという立場ではありません。私たちはしっかりとクライエントのほうを向いて、「こういう問題についてどうしたらいいか考えていこうと思いますが、あなたご自身はどう考えていますか」と本人と向き合って聞いていかなくてはいけません。それを主治医に「このような症状が起こっていますがどうしましょうか、大丈夫でしょうか」と聞くようなソーシャルワーカーにならないためには、やはり「対象化を排す」ということが大事です。ですからチーム医療、チームのあり方と、自分とクライエントとの関係に葛藤しながらジレンマを感じるに違いありません。それでいいのではないでしょうか。ジレンマを感じないソーシャルワーカーソーシャルワーカーとは言えないと思います。ジレンマは私たちの理念の1つというか、いつもつき合っていかなくてはならない、そういう考え方の1つだと思います。

○コメント
柏木氏の文章の中の、「PSW」を「MSW」に、「精神保健福祉士」を「社会福祉士」に置き換えても何ら違和感のない内容だと思った。MSWにとっても柏木氏の指摘を真摯に受け止めて、実践していきたい。

【参考】
『第50回公益社団法人日本精神保健福祉士協会全国大会第13回日本精神保健福祉士学会学術集会大会報告』(スライド12-13)
http://www.japsw.or.jp/taikai/2014/houkoku.pdf