「救護班帰還『物資、人全く足りない』」『読売新聞』2011年3月22日

日本赤十字社では、災害救護活動の柱の一つとして「こころのケア」を位置づけ、体系化して推進するために、指導者養成を開始し、この指導者が全国の支部・施設で救護員の指導を行うことに。 また、2004年10月に発生した新潟県中越沖地震災害では、こころのケア指導者を中心にこころのケア班としての活動を開始している。 出典:日本赤十字社災害時のこころのケア』2008 記事に出てくる、末吉里枝子氏は鹿児島赤十字病院の医療社会事業部係長。
「救護班帰還『物資、人全く足りない』」『読売新聞』2011年3月22日 被災者の疲労ピーク 被災地の悲惨な現状を語る末吉さん(左)ら  東日本巨大地震で被災した宮城県で医療支援活動を行った日本赤十字社鹿児島支部の第1救護班8人が21日帰還し、現地の状況を報告した。「物資や人手が全く足りていない」と訴え、待機中の第2陣に業務を引き継いだ。  救護班は18、19の2日間、宮城県石巻市石巻赤十字病院を拠点に、市内3か所の避難所を巡回して計100人を診察。朝晩は氷点下となり、降雪で車での移動が困難になるなど劣悪な状況が続き、被災者の疲労はピークに達しているという。  医療ソーシャルワーカーの末吉里枝子さん(42)は、「こころのケアチーム」に合流、初日は同病院で遺体を引き取りに来る遺族の対応に当たった。  同病院には十数体の遺体が安置されたままで、遺族も被災して引き取ることができない状況。18日、死亡した父親に会いに来た息子夫婦の衣服は泥だらけで、「親の死に目に会うことができなかった。供養してあげることもできない」と泣き崩れたという。  末吉さんは「皆が生きることで精いっぱい。背中をさすり、『お父さんも分かってくれるはず』と声を掛けることしかできなかった」と唇をかみしめた。  19日は、約780人が避難する石巻市の大曲小へ。津波が押し寄せ、目の前で友達がのみこまれた子どもたちも避難生活を送る。楽しげに遊ぶ姿が見られたが「話してみると、つらい気持ちを押し殺しているのが分かる」。胸ポケットに忍ばせていたシールを小学生の女の子にあげると、うれしそうにはしゃいだという。  「被災者のストレスは限界に近い。継続的な支援が必要」と末吉さん。班長の秋元正樹医師(40)も「我々にできる最大限の支援を行わなければ」と訴えた。