「児童虐待、増える一時保護 名古屋市で介入班ルポ」『中日新聞』2013年8月21日

本当に福祉職採用がなされるのか、単なるリップサービスか。ちなみに河村市長は、昨年10月にいじめ・虐待防止のためのソーシャルワーカーを1000人くらいにするというリップサービスをしていました。その後、職員が増えたという話は聞いていません…。
児童虐待、増える一時保護 名古屋市で介入班ルポ」『中日新聞』2013年8月21日 児童虐待の相談件数が二〇一二年度、初めて千五百件を超えた名古屋市。対策の要に据えているのが、子どもを親元から一時保護する専門組織「緊急介入班」だ。最終目標は、親元から引き離した子どもを、どのように家庭に戻すか。現場をルポした。  「水道も止まるかわいそうな家がある」  今春、市中央児童相談所昭和区)に区役所から一報が入った。すぐに緊急介入班の職員ら数人がマンションの一室に向かった。  電気もガスも止まった暗い室内で、三歳の男児が毛布にくるまる祖母のそばをうろついていた。男児は食事を十分与えられておらず無表情。風呂にも入っていないようだった。  男児は母親と祖母の三人家族。母親は水商売で収入は安定せず、無職の祖母に育児を任せきりにしていた。母親と祖母は、介入班の職員を「子どもをさらう人たち」と受け止め、家庭訪問にさえ、応じようとしない。  それでも介入班の八木健太郎主査らは、連日自宅に足を運び、玄関口で「お子さんのことはしばらく任せて。また一緒に暮らせるよう生活を変えよう」と呼び掛け続けた。  祖母はやがて、生活の苦しさを語り始める。一週間後、児相はネグレクト(育児放棄)として、男児の一時保護を決定。母親も決定を受け入れた。  八木主査らは、保健所や区役所と協力して、生活保護や児童手当の支給申請などを指導。保護から数週間たつと、母親らは「貯金して、何とかこの状況を脱したい」と反省を口にし始めた。  保護から一カ月後、児相は男児を自宅に戻す「解除」を決定。引き取りに訪れた祖母は「ばあちゃん」と元気に駆け寄る孫の姿に、「ありがとうございます」と涙ぐんだ。今では、自宅から保育園に通っている。  市民の児童虐待への意識が高まり、児相の相談対応件数は全国的に増え続けており、名古屋市では一二年度、過去最多の千五百三十二件に。一時保護件数は前年比六十件増の四百八件に上った。  中央児相の渡辺佐知子所長は「一時保護は親子関係を改善する出発点」と強調。一二年度は、児相の支援を受け入れ、安定した収入手段を確保するなどして全体の六割が家庭に戻った。一方で、四割は親が虐待を認めず、児童養護施設などに預けられたままだ。 写真  NPO法人「日本子どもの虐待防止民間ネットワーク」(事務局・名古屋市)の兼田智彦事務局長は「家族関係の修復には親との信頼関係が不可欠。保護を解除してからも地域を含めた末永い支援が必要」と話す。 ◆岩城副市長に聞く   弁護士時代にNPO法人「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち(CAPNA)」(名古屋市中区)の理事長を務めるなど、児童虐待問題の専門家でもある名古屋市の岩城正光(まさてる)副市長に、行政が取り組むべき課題について聞いた。  市の児童相談所の緊急介入班は、子どもの安全を守るため迅速に一時保護に対応している。問題は子どもを親へどう戻すか。ここを誤ると再び虐待で一時保護する事態になる。  二〇一一年に名東区で起きた中学二年男子生徒の虐待死事件では、市の検証委員会の副委員長を務めたが、児相は当時、一時保護に踏み出せなかった。検証委の報告書では「一時保護から解除まで計画性を持つべきだ」と指摘した。現在は子どもを家族に戻すまで見通しを立てながら、組織的に方針を決めて対応できている。子どもを親に戻し、再び虐待されない状態にするには、親の指導が不可欠。今までの児相は場当たり的で、個々の児童福祉司の経験や能力に頼る面が多かった。今はチームで対応し、親をどう教えるか、緊急性をどう見極めるかなどの技術が広まり、共有されている。  問題は児相の職員が平均三~四年で異動し、熟練した職員が育たないこと。福祉の現場で専門技術を身に付けるには最低五~六年の経験が必要だ。名古屋市は福祉職の専門採用がないので、導入を検討したい。 (広瀬和実) <児童虐待の相談対応件数> 2012年度の全国の児童相談所での児童虐待相談対応件数は6万6807件。1990年度の集計開始以来、22年連続で増加している。名古屋市は1532件で、2年連続で過去最多を更新。政令指定都市では横浜市の3265件、大阪市の2823件に次いで多い。