第13期保健医療分野におけるソーシャルワーク専門研修

2017年8月25日から27日の3日間、第13期保健医療分野におけるソーシャルワーク専門研修に参加するため、大阪に行ってきた。

〇印象に残ったこと・考えたこと(※私の記憶から記載しており、講師の言葉を正確に引用している訳ではない)

■木原活信「ソーシャルワーク、その根源と価値・倫理~人間の尊厳を支援する~」
・尊厳(dignity)とは何か。背後にはユダヤキリスト教の思想がある。旧約聖書/創世記において「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」という一説がある。神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって想像された人間。唯一敬うべき対象である神。人間はその姿に似ているから尊厳が生じる。旧約聖書キリスト教ユダヤ教イスラム教いずれにとっても聖典であり、尊厳という言葉は共通の理解となる。これらの宗教を信じる人の数は、世界人口の中でも多くを占める。
・神がモーセに自身を伝えるのに「エゴーエイミー」と言っている。英訳すると「I am Iam」となる。「私は誰々です」ではなく、「私はある」と。存在優位性。参考。being(存在すること)>doing(すること)。
シェイクスピアハムレット』の有名な一説「to be or not to be 」。「生きるべきか、死ぬべきか」と訳されている。ニュアンスとしては、本来「存在するか、しないか」。人は何かを成すことで存在すると考えがちだが、何かを成さなくとも存在そのものに価値がある。
・キリストが捕らえられた際、兵士から名前を確認され「I am I am」と答えたため、兵士が卒倒する場面がある。存在するということだけで兵が卒倒する。存在すること自体にそれだけの価値が込められている。
・人間の尊厳を支援する際の3要素。①「存在」を受けとめること、②多様性を尊重すること、③自己決定を尊重すること。
・「自己決定は重要ではあるが十中八九は幻想である」(Perlman,1965:410)。「自己決定の権利は、ソーシャルワーカーにとってもっとも普遍的であるが、もっとも当惑させるディレンマの源になっている」(Abramson,1985:387)。

(考えたこと)
尊厳という言葉について掘り下げて理解する良い機会だった。宗教的背景の異なる日本人にとって(無論、日本にも様々な信仰を有する人々がいる)、内在的な言葉ではないようだ。しかし、「宗教的な言葉だから私には関係ない」としてしまってはもったいないと思った。子宮に宿したまだ見ぬ子供を慈しむ母親の感情とは、宗教に関わらず感じられるものであり、存在することへの価値は確かにある。

■田中千枝子「メゾレベルのSWを展開するためのアセスメント~相談室から行う地域活動~」

・「MSWは相談窓口相談室から、病院を抜けて地域に出て行き、問題意識を地域集団で共有し、フォーマルに介入していく地域活動を創造できないだろうか」

(考えたこと)
相談窓口相談室…。この一文の意味は重い。

(参考)
志村健一「ソーシャルワーク最前線 ソーシャルワークの可能性 ―岡江晃児さんに聞く『地域で展開する医療ソーシャルワーク実践』-」『ソーシャルワーク研究』vol.42,№4,2017,pp.63-68

■永野ユミ「保健医療分野におけるソーシャルワーカーへのメッセージ」
土本典昭監督『水俣の子は生きている』1965

水俣市立病院付属湯之児病院でのソーシャルワーク実習を軸に、水俣病患児やその家族の生活を描いたドキュメンタリー。登場人物は永野さんご本人。

(考えたこと)
地域包括ケアシステムが提唱される半世紀前に展開されていた、ソーシャルワーカーによる地域活動。こんな凄いものをみせられて、自分の実践を反省…。と同時に、病院で雇用されながら行う地域活動の難しさも感じる。

■演習「メゾレベルのソーシャルワークを展開するためのアセスメント~相談室から行う地域活動~」

(考えたこと)
私自身、地域活動をどう展開するのか模索している最中だったため、大変良いタイミングで考える機会を得た。ミクロレベルのソーシャルワークはできていることを前提に、メゾレベルでどの様にアセスメントして介入していくか。そのことを考える演習だった。雇用している病院にとってその地域活動にはどのような意味があるのか。地域貢献。ネットワーキング。何とか1つの業務として展開させたい。

さて、次は9月10日の研修講師に向けて気持ちを切り替えてきちんと準備をしなくては。

■全体を通して考えたこと
ソーシャルワーカーから見える状況やソーシャルワーカーの行為の名付けが十分に行われてこなかった。仮に名付けされても蓄積されてこなかった。または蓄積されてもそれを読みこなして実践するソーシャルワーカーが限られていた。これがソーシャルワーカーの専門性が高まらない理由の1つ。他責的な意味ではなく自責的な意味で我がこととして反省。
・患者から、地域から病院のソーシャルワーカーが見えない。まずは、自院でソーシャルワーカーの顔が見えるように努力する必要がある。
・外来患者が何らかの社会的理由で受診しない・できない場合にアウトリーチ(地域の職員と一緒に)。

■番外編

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懇親会後に道頓堀へ。飲んだ後の締めは金龍ラーメン。1か月振り。

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よくばってキムチとニラを入れすぎ、味が濃くなり過ぎた。2度目の実食で理解したが、キムチとニラはあくまで別皿が良い。また、昼食なのか締めなのか、それによって付け合わせのバランスも変えなければいけない。600円(税込)

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2日目の朝は新大阪丸ビル新館1階ポンドカフェへ。ホットドックがついて450円。アイスコーヒーが美味かった。

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2日目の昼はスマステで紹介されていた、キリンケラーヤマトへ。

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ランチでしか、このメニューは選べない。ヒレ肉のことをヘレと呼ぶのは大阪の特徴だと思う。

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スマステで紹介されていたロースカツオムドム。オムドムとは、デミグラスソースがかかったオムライスのこと。880円也。凄いボリュームだが、これでも並。決して凄くおいしいということはなく普通の味。でも、ずっと気になっていたお店だったので食べれたことに満足。がっつり揚げ物に向き合った為、夜の串カツは見送り(笑)

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2日目の夜は、今年3月に救急認定ソーシャルワーカーの研修を終えた帰りに愛知のメンバーと寄ったお好み焼き・鉄板焼き屋さん「めっせ熊」へ。店名の由来は不明。

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その時食べた、「ねぎおこ」の味が忘れがたく食す。1030円也(税別)。牛すじが入っている。やはり美味し。手際よく作ってくれたのは、髪が紫色で顔のところどころにピアスがついているお兄さん。

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チェックイン時、1人なのにフロントの方が部屋が空いていたということでツインルームを手配してくれた。ダブルベッドでなければ、部屋が広いだけであまり意味がない。

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道頓堀では、アジア圏からの旅行客が回転すし屋さんに大量に並んでいたのが印象的だった。それにつられて持ち帰りすし。美味し。

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初日と3日目の昼は、会場裏にある「海鮮食堂 おーうえすと」へ。ランチは3つから選べるが、どれも880円。トロサーモンの刺身定食は本当に美味かった。